一指禅功気功法

一指禅功のはじまり①

一指禅功は、中国・福建省南少林寺の秘伝練功術で、インドの高僧の菩提ダルマが江南嵩山(すうざん)小林寺にて創った禅的修練功法が源である。昔は「内勁一指禅」と呼ばれていた。北魏(ほくぎ)太和(たいわ)十九年(西暦495年)、孝文(こうぶん)帝は印度僧人「跋陀(ばつだ)」の才能を認め、「仏教」伝教のために寺院の建築を命じた。寺院は中国の古都西安から400キロ東の河南省登封市の西北、嵩山(すうざん)の少室山北麓五乳峰の森の中に造られた。小林寺の名称は少室山の北の林にある寺という意味で名付けられた。

インド仏教の高僧菩提ダルマは、南朝宋末に航海して広洲に着いた。そして、北魏へ行き、孝明帝孝昌三年(西暦527年)に洛陽に達する。その後、少林寺にて仏教禅宗を伝授する。これで少林寺の名は広く世間に知られ、禅宗の発祥地と言われるようになった。

「中国仏教史」による菩薩ダルマは、北魏に着いて嵩山少林寺に定住し、独自で禅定を行い、9年間、少林寺で面壁(めんぺき)座禅したと言われている。その後、慧可(えか)(467~593年)と出会い、慧可に「楞伽経」4巻を伝授した。禅宗は慧可により広く伝わることとなった。


一指禅功のはじまり②

慧可は菩薩ダルマより伝授を受けた禅的修練法と中国式武術を統合し、一種独特の修練法である「一指禅功」を作り上げた。これ以後、武術の「小林寺拳法」及び医療氣功の「一指禅功」は小林寺の禅僧により立派な功法として仕上げられ、代々口伝・心伝によって小林寺の保護する功法として伝えられた。

公元661年嵩山少林寺の智空は、福建省に移り、清源郡(現在の泉州市)清源山麓に東禅小林寺を建てた。これが別称「南小林寺」である。

当時の東禅小林寺の規模は広大で、寺は13層を有する寺院で、塀の高さは3丈、寺僧千人、田の広さは百頃、始祖達磨に供奉する北小林寺の武僧13人、16羅漢等であった。

このことからも東禅小林寺と嵩山小林寺とは渊源(えんげん)としての関係を持っていたことを知ることが出来る。

少林寺は少林拳法の発源地である。唐の時代以後、僧侶はよく武術を習得し、千人の僧は皆武術に長けていた。特に「武練」「武農」「武樵」の僧は優れた武術を身につけており、拳術の一流派として「少林派」と呼ばれるようになった。


一指禅功のはじまり③

南小林寺の僧は仏門に入っているとは言え、このように武術者でもある。従って、武術界には紛争が多々発生したことから、南小林寺もしばしば焼き払われたり、それを修復したりという状況にあった。

その後、明時代の末から清時代の初期にかけて、小林寺は清の王朝に敵とみなされた。1763年、乾隆帝によって南小林寺を焼き払うよう勅令が下され、ここに千年の歴史を有する名刹も一本の松明によって灰燼に帰し、南小林寺の僧も四散するに至ったのである。